
年2回発行、長年携わっております観光サービス業の方々向け情報誌【ほっとらいん】の表紙お仕事。先日その取材のため、今回のテーマである仙台の東部に位置している若林区霞目【浪分神社】に行って来ました。この地域、実は私の実家エリア。ただ少し離れている地域なので、この辺りを訪れるのはほんとうに久しぶり。仲のよかったお友達の家がこの霞目にあり、小学生の頃、この地域にも時々立ち寄っておりました。しかしながらこの【浪分神社】。近くの【谷風の墓】の存在は知っておりましたが、かなり記憶に薄く…。
昨年3.11の大震災…。予期せぬ大津波がこの若林区にも襲いかかり、東部道路から海側地域はすべて大津波にのみ込まれてしまいました。津波の一部は東部道路を越え、この霞目地域の間近にまで迫ってきましたが、その後引きに転じ、危うく浸水の難を逃れることができました。その近くにありました小さな祠のある神社の名前がなんと【浪分神社】!今回の震災で一躍脚光を浴びましたが、それまでは地元の方々以外その存在をあまり知られておりませんでした。
地元の方のお話によりますと、元々は海から5キロの地点にありました【稲荷神社】だったとのこと。江戸時代<天保6年>に襲って来ました大津波の際、目の前に迫ってきた波が不思議とその神社の辺りから南北に分れ、その神社だけがなぜか津波にのみ込まれなかったとのこと。その後襲ってきた飢饉と再び来るかもしれない津波を鎮めるため、あらたに約500m陸側の現在の場所に移築。名前も【浪分神社】と呼ばれるようになったとのことでした。しかしながら大事なその伝承は月日とともに忘れ去られてしまい、そのまま現在に至ってしまっていたとのこと。存在が知られていたらもう少し今回の被害も抑えられていたのかも知れず…ほんとうに残念です。
先人たちから未来の人たちへの温かい思い…日本の中に、まだまだ埋もれ忘れ去られてている大切な伝承が多々あるのかも…。この【浪分神社】の由来も、月日に流されず大事に守り継いでいきたいものです。
【浪分神社】とその周辺、故郷近くの懐かしいこの地域*取材のついで少し散策してみました。
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①赤い鳥居の奥に浪分神社の社殿。 まずは鈴を鳴らし、丁寧にお詣り。

②鳥居隣に赤い服赤い帽子のお地蔵様。

③江戸時代一世を風靡した大横綱<谷風>のお墓。<谷風>はこの霞の目村での生誕。浪分神社のすぐ裏。歩いて2、3分の所にありました。

④この辺りは小学生の頃にとても仲のよかったお友達の家近く。<谷風>のお墓は浪分神社の境内の中だとすっかり思っておりお仕事の担当さんにもお話してしまっておりました(*_*)…脳内海馬*選択失敗(笑)

⑤道路向かい…有刺鉄線向こうは航空自衛隊【霞目駐屯地】。【谷風の墓】の並びには、地元仙台でしたら誰もが知っていた【昭栄パン】のパン工場がありました。周辺はいつもパンを焼いたいい匂い。直接小売もしており、小学生の頃の近くに住むそのお友達といっしょ、出来たてホヤホヤの餡パンを購入。金網ごし、ヘリコプターの昇り降りを眺めながら美味しいほかほかパンを二人でほおばっておりました。懐かしいその工場は見当たらず…残念。

⑥冬間近。紅葉後、寂しくなった景色の中にひと際映える柿の実のオレンジ色。 柿なのにオレンジ色?…(笑)

⑦近くの民家の庭先を覗き込むと、横一列太い棒にタワワ下がったたくさんの大根たち。奥には数珠つなぎの干し柿。漬物づくりの準備かな?この量だと冬中<沢庵漬け>食べ放題かも(^.^)*

⑧柿の木の下には、今が見頃、ヤツデの花盛り。ヤツデは魔除け。古い家の玄関近くによく見かける植物です。

⑨霞目、浪分けの地から東側を望む…この道の先は今回の震災で大変な被害を受けてしまった仙台荒浜、深沼の地。中学の頃、片道40分自転車走らせ海を見に行ったこともある大好きだった深沼海岸。一番身近な海水浴場でもあり楽しい思い出がたくさんありました。震災の辛い思いを乗り越えてこの夏、その地で海を楽しむ方々がいたようですが、私は未だそこを訪ねる勇気なく…。海側に静かに手を合わせ、止めていた車に戻りました。

⑩大年寺山にテレビ塔が3本。遠くかすんでいるのが青葉山。夜になると仙台中央の華やかな街の灯りが一望。テレビ塔が時々色を変えながらキャンドルのように仙台を照らす…。昔から私のお気に入りの景色。今は仙台の西部地域に住まいが移ってしまっているので、この景色、とっても久しぶり…*

⑪【いぐね(防風林のある昔からの農家お屋敷)】で有名な<長喜城>近く、<梅の木>にある【いぐね】の林。望む西側空に、不思議な竜神様のような直立雲を発見…!!【浪分神社】の帰りに水をつかさどる竜神様あらわる?…(*_*)おもわず合掌。
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