act.60 多層民家の里、山形【田麦俣】に行って来ました。

*山形鶴岡【田麦俣】の多層民家
*山形鶴岡【田麦俣】の多層民家

 以前、庄内地方の文化を今に伝える鶴岡にある【致道博物館】を訪問しました際、館内に移築保存されているユニークな藁葺屋根の民家を拝見しました。白川郷を旅した時に見かけた雪国独特の傾斜の強い合掌造りの屋根の形に似ていながらも優しく柔らかい曲線…小柄ながらも凛とした魅力溢れるその佇まいに惹かれ、しばし、その建物の前で立ちつくしておりました。

 

 聞けば、庄内と山形内陸を結ぶ昔からの古道<六十里越街道>の要所、昔は湯殿山にお詣りする方々の宿場町でもあった【田麦俣】という集落から移築された<兜造り>という様式の民家で、昭和40年頃にこの【致道博物館】に移築された建物とのお話でした。移築当時、【田麦俣】集落には、その<兜造り>様式の民家が最盛期<40軒くらい>よりはだいぶ少なくなって来ていたとはいえ、まだ20件以上も存在していたとのこと。村人たちは、平家落人伝説が語り継がれるはるか昔の時代より、雪深い山ふところのきびしい環境にも負けず、荒れた土地を切り開き、棚田や畑を作り上げ、蚕や炭焼き業も営みながら、自給自足に近い暮らしを長きに渡り、ささやかながらもたくましく続けてきていたとのことでした。

 昭和の時代、山あいにひっそり佇むその頃の多層民家群【田麦俣】の景観は息を飲むほど素晴らしく、当時を知る旅人のエッセイイストや写真家は、「さながら<桃源郷>のような美しい風景だった」と感慨深く文章に記し残しておりました。

近年、新しい道路が開通。雪深く便も悪い地域のため、今では家を改築した家が増え、<兜造り様式>の多層民家は民宿を営む1軒と、山形県の指定有形文化財となっている【旧遠藤家住宅】、そしてそこに隣接する水車小屋のみが残るだけとなりました。【致道博物館】に移築保存されております田麦俣集落の【多層民家】。その建物に惹かれ気に入り、水彩画にて作品を制作したことのご縁もあり、いつか直接【田麦俣】へ…と思いながらも、いつも近くを通りながらも用事を優先してしまい伺いそびれ…。先日やっとのこと、夫とともに訪ねることが出来ました。

 

 ひとまわりその地域一帯を拝見、駐車場に戻ってきましたところ、「あれ?みほさんじゃないの?」の聞き覚えのある声。なんと、専門学校の教員の時に夫とともにとてもお世話になりました建築科ご担当のN先生ではありませんか。現在は建築家としてお仕事をされているN先生。奥様とごいっしょ、前々から気になっていた【田麦俣】集落の多層民家を見に仙台からいらっしゃったとのことでした。この時間、この場所に立ち寄ったのは私たち夫婦とN先生ご夫婦のみ。これはシンクロニフティ?!出羽三山湯殿山の神様から贈り物?とても尊敬しておりました先生でしたので、思わぬ嬉しい出会いに夫とともに感激しきり。ご無沙汰ながらも変わらず笑顔の素敵なN先生でした。楽しく不思議な驚きとともに、【田麦俣】集落を後に…。冬の季節は雪深く、萱吹き屋根の多層民家の現地での維持は大変なご苦労かと。でもその地にあるからこそ価値のあるもの…。湯殿山近くの<月山新道>からも近いので、興味のある方はぜひとも足を運んで頂ければ…。<2016.8.>

 

*続きを読むをクリック。心和む庄内【田麦俣】多層民家の里。フォトブログもどうぞご覧ください。


①いざ多層民家の里【田麦俣】へ。村田ジャンクションから山形道。冬はスキー場となるセントメリー。夏場は黄緑色に光る傾斜がとてもきれいです。


②山形道の行き手中央に見えるのは夏でも雪が消えない出羽三山のひとつ霊峰<月山>。


③最近、緑の中に黄土色の山肌が筋になって見える山が増えてきたような…。気候温暖化、集中豪雨多発のせいでしょうか。


④<山形道>を降り<月山新道>へ。その後<山形道>側には戻らず【田麦俣】の看板を辿りながら、その集落のある山あいへと車を進めて行きます。真夏ののどかな一本道。


⑤【田麦俣】の集落に到着しました。バス停の先に見えるは目的地、藁葺屋根の多層民家。


⑥向かって左側が民宿を営み2軒の多層民家を管理しておりますご家族が住まわれている建物。右側が山形県指定の有形文化財【旧遠藤家住宅】。昭和30年代の最盛期には40件余りありました多層民家造りの建物。今ではこの2軒のみとなりました。


⑦石垣の上に佇む多層民家【旧遠藤家住宅】。右下は藁葺屋根の水車小屋。


⑧民宿も営んでいる多層民家。ここで奥にある中も拝見出来る【旧遠藤家住宅】拝観チケットを購入します。<大人¥300>を2枚購入。優しげなご年配のおかみさんが応対してくれました。


⑨ここが指定有形文化財の多層民家【旧遠藤家住宅】。建物の中を拝見できるのはこの1軒のみです。


⑩多層民家の横には涼やかに水音を立てる小さな小川。黄色い花々がそのまわりを夏らしく彩ります。


⑪この民芸的なシチュエーション*好みです。板木彫り絵作品のテーマにとても合いそう*


⑪ではでは【旧遠藤家住宅】の中へ。おじゃまします。土間から板の間に上がると家族が集う囲炉裏の間。方言?<おめえ>と呼ばれるとのこと。


⑫農作業や山しごとの時に使用されておりました様々な道具等も展示。


⑬消防団の法被のような…。右側は湯殿山の宿坊時代に使われていた木の看板なのかもしれません。<高山坊>と書いてあります。

 


⑭奥の間にも囲炉裏が。説明に<でどご>とありました。様々な器もあるので<でどご>→<だいどころ>の間ですね。方言の言いまわしはほっこりと温っか。


⑮石臼も展示されておりました。<秋の日の~輪廻の~手臼押~し回し~♪白々と~我が哀しみは降~り積~もる~♪>高校音楽部時代に歌った詞を突然思い出しました。あらためて文字にすると、とても深い詞です。ただ、作詞作曲の方をまったく覚えておらず…。この歌をご存じの方は当時いっしょにコンサートで歌った部員たちと合唱曲に精通した方のみかも…。


⑯かなり年代物の脱穀機のラベル。右から左へ文字が流れるところをみると戦前の品物かと。全国博覧会で金杯受領!とってもパワーがありそう!


⑰雪ん子藁ぐつ。手作業で丁寧に藁を編んで作ってあります。縁に色布を入れるのが個々のおしゃれ、楽しみのひとつだったのかもしれません。どうしても隙間が出来てしまう藁なので、雪が溶け中に冷たく浸みていたのでは…。想像を越える当時の冬しごとの辛さ厳しさが慮れます。


⑱<ばんどり>農作業等、外出時に荷物を入れて使用する背負子。肩にあたる部分に様々な色布を交ぜて織り、持ち主それぞれの個性を楽しんでいます。これは藍で染めた色布を使用。【致道博物館】でも色鮮やかな様々な<ばんどり>を所蔵しております。


⑲木桶づくりのお風呂。かなり小さめサイズ。ある農家で土間に無造作に置いているこのようなお風呂桶を見たことがありますが囲い無し。恥ずかしがり屋の女子にとってはかなりきつい湯あみタイムかと…^_^;


⑳階段を登り一番上の屋根裏<天井厨司>物置部屋へ。積雪の重圧にも長期耐えられる屋根の造りが見事。明り取りの場所から洩れ出る光が心地よく…。


21/多層民家屋根のひさしの部分。丁寧にしっかりと骨格を造り上げられてまるでオブジェ作品のような美しいフォルム。自然素材のみで形成された建物にはいつも人を包み込むような心地よい美しさを感じます。


22/  【旧遠藤家住宅】から少し下ると藁葺屋根の水車作業小屋。今は堀に水を引いていないため残念ながら水車は回りませんが、耳をすますとカッタンコットン*はるか昔に響いていた作業の音が聞こえてきそうな気がします。


23/ 駐車場の隅には、多層民家の藁葺屋根と同じ素材で作られた【六十里越街道】街道の歴史を記す大きな看板が立っておりました。車文化の前はすべてが歩き。旅人にとって山の多い日本の国土を移動するのはかなり過酷な道のりだったかと。でもその疲れがすべて吹き飛び癒されるような、今では出会うことが出来ないほどの素晴らしい景観にも、きっとたくさん出会うことが出来たことでしょう。


おまけ/  【田麦俣】の旅から帰り、用事のため久しぶりに実家へ。茶の間のいつもの席に座り、ふと斜め向かいにある書棚に目をやると、【多層民家の里・田麦俣】という文字の背表紙が!おもわず手に取ると、田村茂廣氏が手掛けた昭和30年代あたりからの【田麦俣】集落の写真集でした。今は無き【田麦俣】を埋め尽くす多層民家の群れ。モノクロながらも素晴らしい写真の数々。「あ、それ、お父さんが致道博物館に行った時に気に入って購入したみたい」<ああ、やはり親子。好みって意外と似ているものなのね^_^;>

これも不思議なシンクロでした。水彩画のテーマにしたりと、やはり【田麦俣】はご縁がある場所なのかも。<2016.8>